プロジェクトヘイルメアリー
直前に原作小説を読み終えて、初日にIMAXで鑑賞するという気合の入った感じで観に行った。正直な話をすると小説が好きすぎて思い入れがあるシーンが端折られてしまっているところが目についてしまう。上巻前半のパートや計算・実験パートがごっそりと端折られていて、そこが好きだったので残念だな〜と思うが、じゃあこれを映画で延々やられたらダレるよな〜の気持ちもあるので、これは実写・映像化というよりは映画版プロジェクトヘイルメアリーなのだ。と思うと良さそう。ペトロヴァ光の映像演出や、ロッキーの奏でる音や音楽は映画ならではの魅せ方とトレードオフになっており、かつ設定自体はほとんど原作に忠実だった。ロッキーとのバディ感が増しており、地球は滅びそうなのに妙に暗くなりすぎない岩のおともだちとのご機嫌バディムービーになっていた。ロッキーがかわいすぎる!小説ではもっとこう塩対応というか意外と常識的に礼儀があり社交的な感じだったのに、映画版のロッキーはエアロック開けてゴロゴロと邪魔するで〜〜〜って入ってきたりと愉快な感じなのも良かった。映画公開後にSNSのみんながロッキーの口調になってくのがおもしろかった。
しあわせな選択
韓国ドラマ大好き友達に誘われて、イ・ビョンホンが出るということ以外は何も知らずに観に行った。クセがすごい…!という感じの映画だった。パラサイトみたいな、社会現象を交えつつ描くブラックコメディ極限ムービー。
マイホーム、飼い犬、家族を全て掴んだイ・ビョンホンだったが、長年勤めた製紙工場をリストラされて再起を目指すのだけど、なかなか製紙業界に再就職できずにいるところを、自分より優秀そうな同じ業界の人材(この人たちも再就職を目指して就活してる)を殺していけば俺に席が回ってくるんじゃね?となり、就活ライバルを殺害していくという妙にシュールポップに極限状態を描いた映画なのだが、出てくる役者の演技がうますぎて、クセがすごい…!まじで何も知らずに観に行ったので、自分より優秀な人材を架空の製紙会社を設立するふりして履歴書を集めるんだけど、何にも説明ないから「あ〜こっから自分で会社立ち上げるぞ!っていうドタバタスタートアップ物語か〜〜」なんて思っていたらライバルを殺すぞ!ってなっていて、なんでえ!?ってなっていた。多分あの映画館では私一人がそう思っていただろう。
人を殺してまで掴んだ未来ははたして…という気持ちになり、最後はAI制御されて人員が削減されまくった製紙工場で働いてるんだけど、なんだかね…みたいな今自分の仕事場でもAIが台頭してきており、うっすら現実がよぎりやや暗い気持ちになった。
オデッセイ
プロジェクトヘイルメアリーの原作者のアンディウィアーの作品の関連が気になり観た。こっちはリドリースコット監督なので、まあまあ痛々しい描写があったりして、プロジェクトヘイルメアリーに比べるとやっぱ最新作はポップだったな〜と思わざる得ない。どうしても対比的に観てしまいそういう感想になってしまうのだけど、なんか知らんがアンディウィアーの描く主人公は死んでたまるかという前向きさがあり、絶望してる暇があったら持っている知力で少しでも前に進むぞ感のある主人公が多い。なのでエンタメとして元気がもらえる。地上と火星でのやり取りや、火星のあいつを救うぞ!という技術力の集結と救助のために協力する姿に素直に胸が打たれるのであった。
エディントンへようこそ
実はアリアスター監督作品を見るのはこれが初めてなのだけど、じわじわとした狂気というか、もしかして…思ったより世の中はおかしくなっているのかも…みたいな、人がうっすら感じる不安が連鎖していく最悪のピタゴラスイッチを見せられている感じだった。途中から何故か銃撃戦が始まって、まじでこの映画どうしてこうなってんだよと何度か呆れた。思えばペドロパスカルがサクッと死んだあたり(いや今をときめく人気俳優をサクッと殺すなよ)から映画はおかしくなっていく、SNSや陰謀論、何が本当でどこまでが現実なのかわからなくなっているロックダウン下では有り得たのかもしれない、と今では否定できないこともあり、最後のシーンではデータセンターが誘致建設されて、アリアスターなりの問題提起のあるシニカルな映画なのかなと思った。
先述した、しあわせな選択もだけど、シュールポップに極限状態を描いている訳ではなく、SNSやスマホの画面越しという記号が出ることによって現実感が人によって変わるというか、直接的には自分に関係のないところで起きていることだな〜みたいな他人事感がうっすら感じられる。これがシュールポップに感じさせるのかもしれない。これの逆で、同じような映画をアノーラでショーンベイカーは生々しく感じられるように撮るのだから面白いなと思った。