身内に会いに北海道に来ている。残暑が厳し過ぎる東京に比べて一足早く秋のような涼しさだ。夕方前に着いたので陽が落ちるまでは散策しようと思ったけど、部屋に着いた瞬間にお腹が痛くなったので横になって休んでいる。
北海道は広くとにかく移動に時間がかかる。中心部は電車の快速や急行があるが、そこから末端に向かうとどんどんと汽車(昔から地方では何故か電車を現代になってもこう言う)の本数が少なくなっていく。2時間に1本しかこないのはザラだ。普段、分刻みでひっきりなしに電車が来る都会のど真ん中にいると、ありえないほどに時間をかけて移動することになる。最後に来たのは5年前で春のまだ雪がちらつく頃だった。その頃から向かう先の路線がなくなったと聞いた。今はもうバスで行くしかないそうだ。
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数ヶ月前から、1人では行けないので付き添って欲しい用事があるため、友人と約束していた。の、だが、先日友人から連絡があって、付き添えないという断りがあった。仕方のないことだ、と思うのだけど、この友人はこういった類のドタキャンや予定を断ることがとにかく多い。たまたまそうだったり、のっぴきならないこともあるのだと思うのだが、20年来こうなので、そうなのだな、という目を向けざるをえない。人に対する期待と疑いを持ちながら生きるのがたまに疲れる。
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長年、猫を飼いたくてペット飼育可能の家に住んでいた。落ち着いたら、など考えていたが間も無くしてコロナになって落ち着くことがなくなった。リモートワークが主流になって、家に仕事道具が増えてきたこともあり、手狭になって引っ越すことになった。一度もペットを飼えぬまま、今住んでいる家に引っ越した。一応、今の家もペット飼育可能の家だ。
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今の家に引っ越してから、ひとつ季節を越えた。昨今の日本に季節感があるかはわからないが、蝉が鳴き叫ぶ熱い夏から夜になると鈴虫が鳴く季節になった。どんなに残暑が厳しくても虫の人生には変わりはないのかもしれない。昼間に外に出ると、もう蝉は鳴いていなかった。
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仕事と副業と、その他プライベートな用事が立て込んで、夏は忙し過ぎた。気が付いたら9月になっていた。このままだと情緒が無くなってしまうと思い、やることを減らしている。締切や予定を入れないようにして、自分のための余白を作ろうとしている。無理矢理映画を観たり、本を読んだりしていると、徐々に24時間ネットに囲まれて仕事している自分から抜けていく感覚がある。
久しぶりに出ていた読み続けている漫画の新刊を読む。いまだにアナログで作画をしている作家の漫画だ。作風も画面作りもその他大勢の作品からは一線を凌駕している。
仕事柄、スマホから読まれる漫画を目にする機会が多く、スマホから読みやすい漫画が増えたと思う。具体的には、トーンの割合や、コマ割りやセリフの数と大きさ、ページの展開が昔に比べて違う。雑誌掲載と比べて制約がないこともあると思う。なので、それぞれ紙とディスプレイで読んだ時の満足度が違う。
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空港で本屋を探して文庫本を買った。5年前に北海道に行った時は移動時間の多さに辟易としながらも時間を潰すものがなく、延々とスマホからSNSやらを見ていたが、中途半端な刺激しか得られずゾンビの様に目的もなく画面を見ていた。その時は後半から読みたかった本があると思い出して、持っていたのに忘れていた本を読んだ。それを思い出して、前もって本を買ったのだ。
気付いたことがあって、本の中の文章のリズムを感じるのだが、そのリズムが普段の自分に影響している気がする。ゆったりとした作品を読むと、自分の生活もゆっくりになっている様な気がする。その逆で、テンポが早く情報量が多いものを見ると、普段も忙しなくなっている様な気がしてる。
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文章を書くことで、気持ちや考え事を整理して、頭から一度追い出さないとならない。難題があるとそれに支配されて頭が詰まる。私はシングルタスクな人間で、ただシングルタスクを高速に行って並列にやっているだけなのだと実感する。