mazcomemo

i can't help it.

気にしなければいいですよ、とか、他人は別だ、仕方ないと思って距離取ればいいですよ、とかいうけど現代においていろいろなことが網羅されて繋がっている社会だから、今までの自衛行動だけでは難しいなと感じる今日この頃だなと思う。だからこの文章も読みたくなかったら読まなくていいと思います。

ミネアポリスの件を見るとなぜかざわざわしてしまうのは、多分いつか自分にも降りかかるんじゃないかって予感がそうさせているんだと思う。こうやって今は冷静に書けるのも、多少なり余裕があるから反応できるけど、体調が悪かったり心に余裕が無かったりしたら、こういう世間の動きにも何も反応したくないだろうなと思うし、反応する事は必ずしも強制ではないよな、と思う。でもそれは多分問題を考える事を先送りしてるだけで多分いつかどこかでまた向き合うと思う、それがいつかはわからない、生きてるうちかどうか、いつか起こる災害みたいに、起きないといいな、でも起きるだろうな、と、どこかで思う。

これから話すのは自分の事である。1人だけでヨーロッパに旅行に行った時、トランジットだったけど一度出国して空港の外の宿泊先を用意していたので、乗り継ぎではなく一度外に出なくてはならなかったけどトランジット先の韓国で間違えて空港に留まる手続きをしてしまった。トランジット先で一度出国するつもりだったので、荷物も降ろされているはずだった、空港内で夜を明かすのは難しいと思った。深夜の空港だった。一度戻ってボディチェックをしてくれた係員に間違えてしまったんです、と言った(何語で言ったか覚えてない)しかし流れ作業で空港の奥を指差されてしまった、後戻りができない場所なので当然の対応だと思った。自分が職員でも戻ろうとする人がいたらあっちですよ、と声を掛けると思う。
深夜の空港はほとんどの人気がなく、24時間やっている店にも客はまばらだった。私はインフォメーションで「間違えてここに来てしまったので、空港の外に出してほしい」と全く出来なかった英語と、スマホの翻訳や次の便のチケットなどを見せて伝えた。だけど、そこにいた受付の女性には、次の飛行機に乗りたいのでどうにかしてくれと伝わってしまったようで「明日にならないと飛行機は飛ばない」と英語で言われているのが分かった。勘違いだと伝えようとするが「英語で話せ」と言われた。状況を伝えられるほどの英語は話せなかった。何度か説明し直そうとしたが、挙句無視されてしまった。イライラしたため息も吐かれた。空港では色々な人種や言語が飛び交い、何万人も行き交うのでひとつひとつに答えていられないんだろうなと、一度話したのに、無視されてしまうのは仕方がないと思った。だが私もどうにか解決させなくてはならないのでここで引く気もなかった。別のインフォメーションに掛ける事にした。次は伝える準備をしようと言いたい事をまとめてスマホの翻訳機能を使う。トランジット、一時出国、これが本当に正しい英訳なのか判断もつかなかった。少し先に歩いたら別のインフォメーションがあった、先程と同じく韓国人の女性が受け付けていた。さっき受けた対応を思い出して震えた。恐る恐る声をかけてなんとかスマホの翻訳した英語の文章を見せた。「間違えてしまったんです…」と思わず小さい声で日本語が漏れた。「あー、少し待って下さい」と日本語で返された。この人は日本語がわかる人だった。事情を察した受付の女性は内線電話を取って空港の人と話をしてくれた、ゲートの場所を教えられてありがとうございますと言って向かったら職員がいて手続きを済ませてなんとか出国できたのだった。
ここで感じてわかったことは、言葉が通じないとそれだけで不利になること、どんなに準備しても説明出来ない、証明できないと相手には取り合ってもらえない、それがどんなに困っていようが自分自身で進んでいかないと何も解決しない。ということだった。自分のミスに関しては言うまでもないが、黙っていても何も起こらないのであった。わかっていたけど、わかってはいなかった。心のどこかでどうにかなるだろうと思っていたが、どうにかしてくれたのは受付の女性や空港職員だった。自分一人ではできないことや依存や今まで自国で受けてきた待遇を痛感した。

ヨーロッパの空港でのトランジットの時だった、ゲートの場所がわからず、まずここはどこかとインフォメーションに聞きに行こうとした。インフォメーションに向かうと、旅行者の男性と受付の女性が話していた。話が終わったら声を掛けようとその隣で待っていた。話が終わったので声を掛けようとしたらいつの間にか隣にいた男性が受付の人と話し始めた。ここでは順番を待っているという姿勢や常識は通じないんだと思った。話が途切れた時に勢い良く話しかけて事なきを得た。私は受付の人から見たら何故かそこにいる旅行客にしか見えなかったのだと感じた。

ローマ観光の際、荷物を空港に一時的に預けるサービスがあると調べていてわかった。ただ場所まではわからずインフォメーションに聞きに行った。今度こそは準備をして、スマホでそのサービスを表示させて「これはどこにあるか?」と聞く準備をしていた。インフォメーションがあった、その直前まで誰かと話していてちょうど話が終わり、受付の人がこちらをチラッと見たのでそのまま近付き受付で「すみません」と声を掛けるがデスクから目を離そうとしない、声が小さかったのかと、もう一度声を掛ける。反応が無い。顔の前で手を振るが無視される。もう慣れていたが無視されるというのは本当にこたえる。さっき目が合ったよな?私は前の経験があるので少し怒っていた。聞こえるくらいに大きなため息をついて行儀が悪いがFuckと小さく呟いてから日本語で「なんで聞いてくれないの?意味わかんないでしょ、なんなの?」と言ったらやっとゆっくりと顔を上げた。言葉は通じてないと思うが「何か用?」と顔の表情で聞かれた。スマホを見せてこれはどこだと私も顔で言う。真後ろのエスカレーターを指差された。それだけの事じゃないかと怒りそうになったけど、空港の人はこんな事が毎日できっと疲れているんだと思った。ちゃんとお礼を言った。心のどこかでなんでこんな事されるんだろうと思いながら。

ローマで観光していた時、駅前で困った顔をしたアジア人の女性に声を掛けられた。よく聞いたら中国語だった。勢い良く声を掛けてきたので困っているのだと思うが私はわからず英語で「ごめんなさい、日本人です、言葉がわからないです…」と答えた、どうにかしたいなと思って英語で「どうしたの?」と聞いたけど、女性は困った顔をしたまま話しかけるのをやめて何処かへ行ってしまった。韓国での空港の私だ。と思った。私はアジア人として見られていた、トランジットを利用して観光していたこともあって、すっぴんで眼鏡で楽な格好としてジャージだった。遠目から見たらアジア人の区別なんてアジア人でもわからない時がある、欧米人から見たらもっとわからないだろう、私だって多分欧米人の見分けを付けることができないんだから。

空港での出来事が多いが、観光地ではあまりそういった思いはしなかった。だが私は観光地からして見たら旅行者で、客で、その地に金を落とす存在だからだった。ここに差があるんだろうなと感じた。その国に住むと思ったらどうだろう?と想像する。周りはどこまで私に関わってくれるか?と。だから空港での出来事を責めるつもりもなかったが、された事を通じて私の常識や価値観が変わったと思う。

今、ミネアポリスで起こっていることに関して、起きている事を想像するだけで怖いと感じるのは自分がいつかこうなるからと想像してしまうからだと思った。自分の問題に置き換えて主題を切り替え、自分の不平不満を言うつもりではない。しかし標的が変わったらどうだろう。彼らは同じ言語と国の中で話し合っているのに、こんなに築き上げた文化あるのに、もっと理不尽な事が多いんだと思った。これを許すということは、次の標的にも同じロジックが通用するということだ。

私が生きてるうちはわからないが、遠い未来ではどうだろうか?今より日本人は世界中で生活しているだろうか?日本にも日本人以外の人種が生活しているだろうか?人種差別の問題は終わっているだろうか?もしかして解決もされず終わらずに矛先が変わるだけだろうか?そして今度はどの人種や差別になるんだろうか?そう考えるだけで、遠くの国で起こった事をネットを通じて見ているのはとてもざわざわする。想像力が豊か過ぎると言われたらそれまでだが、自分がされてしまうかもしれないという錯覚を覚えては怒ればいいのか怖がればいいのか無視すればいいのか迷うが、カテゴリーに関係なく駄目なものは駄目だと言わないとならないのだと思う。